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上達への道

「音楽」演奏と「ギター」の練習についての考察です。

ここで言う「音楽」とは、西洋のクラシック音楽のことです。
ルネサンス期(ポリフォニー)からバロック期(通奏低音)、古典派(拍節感と4小節単位の構成)などを経て、ロマン派や近代の音楽家たちが発展させた音楽です。
調があり、拍子があり、コード進行があり、多声的に書かれた作品とも言えます。
また「ギター」は、ソルの時代、タレガとリョベートの時代、そしてバリオスやセゴビアやブリームらの活躍した20世紀後半まで(とこれからも含めて)、作曲と演奏と楽器製作の各分野において多くの偉人たちと無数の愛好家たちが発展させてきたクラシックギターのことです。

筆者のギター教室は2018年で開業30年になります。
その間、大勢の皆さんとともに、「曲に込められた美」をくみ上げようとし、「うまくいかない時の原因」を考えてきました。
この文(というよりも列挙したリストですが)では、あまり他では言及されていない(と思う)内容に絞っています。
一般的な教則本を目指す内容となってはいません。
すぐには意味を受け止めていただきにくい項目もあるかも知れません。
意外に克服が厄介だったり、思いもよらなかった深い感銘を呼ぶ美しさだったり、こうしたことを指し示すことばの意味の深さは、ことばの表面には現れてきません。

ぜひこれを踏み台にしていただき、皆さん自身の、深い意味への探究を続けていただければと願っています。



もくじ
1.2018年07月07日更新:左手
2.2018年07月10日更新:右手
3.2018年07月13日更新:練習全般
4.2018年07月14日更新:西洋音楽
5.2018年07月14日更新:その他のメンタル面
6.2018年07月14日更新:さらなる考察


1.左手


◎フレットの間に弦を沈める、指もへこむ
沈めるべき深さは、出そうとしている音によってさまざま
押さえる、押さえない、のデジタルではなくアナログな感覚
弦が、押さえられて指板の木(黒檀)に達することはまずない、皮膚は達することがある
余韻の途中で力は少し緩めてよい

◎目で誘導しない、手や腕の《中から》知り直す
弦を沈める深さの目標は、押さえる前には目には見えていない(クッションをつかむ例)
沈め切った到達状態を、「手さぐり」の世界の中で想像する、決してヴィジュアルな想像ではない
移動の際、出発前に到着側を想像するべき

◎(指先の)タテ配列・ヨコ配列
いずれも、脇があかないように、手首を柔らかく
タテ配列では手首を釣り上げ気味に
ヨコ配列で、人差し指の付け根を棹に付けないように

◎薬指や小指を肩から手伝う
肩の落とし具合、肘の位置、手首の位置とひねり具合、全体の曲げ(丸み)など、駆使して手伝う
普段から、エレベータのボタンや、壁にあるスイッチを、左手の薬指や小指で押すことを心がける(立つ場所・腰と上体の向き・肩の入れ具合などを、うまく作る必要があり、それに慣れる練習)
人差し指は特別に器用(筋肉の数が違う)なので、ほとんど手伝う必要なし

◎「ワンタッチ」
複数を押さえる際は「ワンタッチ」を心がける
曲の中では複数を、必要な順に必要なタイミングで押さえていきひとつの響きを構成することも多いが、肩と腕の手伝い具合は、最初の瞬間までに(ワンタッチででもすべてを押さえられる程度に)用意されていなければならない
指板を治具にしない

◎「スタンプ」
ワンタッチで押さえるべき指の組を、空中に「スタンプ」として用意できるように練習する
まず、押さえた状態から均等に2センチくらい浮かしてまた同時に着地、ということを繰り返す練習、次に「スタンプ」を崩さないまま30センチ以上遠ざけて戻ってくることを繰り返す練習、がよい
「スタンプ」を形成するための(おもに指担当の)筋肉と、正しいポジションにつれて来るための(おもに腕担当の)筋肉を区別するのが理想

◎「スタンプ」のボキャブラリーを増やそう
スタンプは無限にはない、2本指で約200通り(数えてみますと、185通りで、かなり拡張するものを入れても225通り、あと、ちゃんと数えていませんが、3本指・4本指を含めても、読みを知っている漢字の数くらいでしょうか)とはいえ、かなり多い
調がある曲では、コードからコードへの移動にある程度整理されるので、使用頻度にあきらかな違いがあり、これだけの数のスタンプのすべてが均等に重要なのではない
ソルの教育的作品は最適教材
今練習している曲に出てくるスタンプは将来別の曲にも出てくる可能性は高いと言える

◎耳を持ちかえる例
左手で自分の左耳の下部を軽くつまんだ状態から、左手が顔の反対側へ移動して、右耳の下部をつまむ、ということをしてみてください、この際
A:左手を目では見ていない
B:途中の経路をおそらく意識してはいない
C:頭も少しは動かして、耳と指の出会いを作っている
D:到着側をつまむために必要な手の向きを、到着のかなり手前で用意している
E:長年の生活で到着側での出会いを、疑いようがないほど知っている
など気付くと思います、これらがギターのポジション移動において、練習目標とする要素です

◎移動は「着地側を絶対化」
着地側を、構えていない状態から構え直して押さえる(手前からの移動ではなく)ことを練習する
移動を練習するのではない
着地側を、自分の耳をつまむ程度に「絶対化」するのが理想(上のE)
体の「構え」のない状態から着地側の押さえ方でギターに入っていけるようになれば、移動中の脱力が可能となる(出発側を押さえていた力をすべて捨てて動く感じ)
移動時に力を連れて行かない、指を引きずらない
腕の重みはできるだけ先に移動

◎不動部分・可動部分
原則として、地球に根を張った背骨、鳥かご状のろっ骨、そしてギター本体が、不動部分である
椅子と自分の両足が、根(土中にはないですが)となり、曲の間、脊髄を樹木のごとくそびえ立たせるイメージ
この不動は、完全な固定を意味するのではなく(上のC)、運動の基幹ということ、基幹に対する可動が自分の中の踊りと考える
肩甲骨と鎖骨が適切に動いて、押さえ方のための「構え」を時々刻々作る

◎2種類の「力の借金」
A:ワンタッチでなく押さえると、先に押さえた指先をひっかけて他を持ってくることになり、先に押さえた指に、押さえるのとは別な力が残る、これがひとつの「力の借金」、この借金を回避できるよう「ワンタッチ」を根気よく練習する
B:腕の手伝い方が不明瞭なまま移動してきて、押さえる力で(自動車や自転車のディスクブレーキをキャリパーが挟むように、ギターの棹を指が挟んで)腕の運動を止めるケース、このように押さえてしまうと離すまで「力の借金」となる、この借金を回避するには目で誘導しないことが有効
「力の借金」がないように着地すべき

◎体のわだかまり
押さえに行く際に、頭を振る・うなずく、は、ろっ骨に対する肩甲骨の滑りが不適切な証拠
練習ではヴィブラートしない、着地側を明瞭に意識し直す
体のわだかまりは少しでも減らそう、たいてい、音や音楽へのわだかまりが原因である、歌ってみるのがよい

◎人差し指が①を押さえるとき、指の付け根を棹から離す
人差し指は指先をあまり立てない気持ち
肘から人差し指の指先までの曲線を、⑥を押さえるときと同じ程度に維持する
ルネサンス絵画の手、肘から指先までの美しい曲線が理想
指を曲げることで①側に動かすのでなく、肩から動かして、棹と手のひらの適切な関係を作る
必要があって深く折り曲げても、次の押さえ方に変わったらすぐその深い曲げは解消するべき

◎親指は原則中指と向き合う
影絵のきつねの形を意識する
親指が人差し指と向き合うと小指が指板から逃げる

◎セーハ(バレ)
指板の①側の角はかわす
棹に巻きつくのではない
肘を前に、左ひざに左ひじを載せに行く感じ
手首が曲がっていないほど、ねじりの自由が増える
肩は落とし気味に、脇の感じは相撲のおっつけ
セーハを含むトータルのワンタッチをしっかり練習する
練習中に指が疲れてきたら、指ではなく胴回りのストレッチ

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2.右手


◎弦の位置と張りを精密に期待する
弦に対して指先は、斜めに通過
弦の直径の中心をはじく=弦の芯、中心軸を狙う

◎弦の音⇔表面板の音⇔部屋の残響
これら3つを、聞き分ける努力
高音は部屋の上へ、低音は部屋の下へ
①のミは、自分が演奏場所に立ったときの自分の目の高さ
音が、あたかも紙ひこーきのように飛び出していく様子(翼の大きさ、速度、角度、軌跡の曲線など)をイメージする

◎「ホールディング」
弦をはじく以前に、あらかじめ指を載せておくアクションのこと
バレーボールのルールにあるホールディングに感覚が似ているので私はそう呼んでいます
プランティングと呼ばれている動きと同じ(かと思います)

◎ホールディング(またはプランティング)のタイプ
A:はじきたい弦を、はじくべきタイミングよりも前もって、つかまえておくタイプ(まさにホールディングの感じ、一旦保持してから投げる感じ)
B:はじきたい弦とは異なる弦に、使わない指を乗せたまま、そこを支点として利用するタイプ(6本の弦がなす面に支え役の指をplant植え付ける感じ)
C:消音の必要から乗せた指のひとつが、上のBのタイプの役を果たすタイプ

◎ホールディングの特徴
・弦と指先(爪)の接触位置関係を、はじく前に確認できる
・弦の反作用(力のかかり具合)を、はじく前に確認できる
・同じ弦が続く場合、直前の余韻を消音してしまう(望んでいなくても、きわめて短い時間、Aのタイプのホールディングになってしまうことは避けられない)
・右手を弦にバウンドさせるような動きは、本当は無駄(しかしながらこのバウンドをショックアブソーバーに利用して、右手全体の運動量を吸収させることができるので、右手が多少暴れていても正しく発音できる面がある)
などかと思います

◎ホールディングのタイミングをうまくコントロールしよう
左手がポジション移動するとき、左手の出発前に、右手が「着地側ではじくべき弦」をホールディングすることで、つながりがよくなる
ギターのポジション移動では、左手が押さえていた箇所から出発した時点で開放弦以外の音は切れてしまい、左手が原因の「音のない時間」が生じる、一方、右手も弦に振動を与える少し前に指先が触れることは避けられず、こちらの原因によっても「音のない時間」が生じる、通常は、このふたつの「音のない時間」がずれてこの順に経過している
このふたつの「音のない時間」をぴったりと重ねて同時経過・同時進行にするのが目標
これには困難が伴いますが、効果は絶大です
なぜ困難か:
通常は、左手がまず動いて正しく押さえた後に、まさに正しく押さえられたことを利用して、必要となる弦へと右手を持ってきている(左手が到着側を正しく押さえたことに依存して右手の担当弦を思い出している=左手主導)
「音のない時間」を重ねるためにはこの左手主導を右手主導に改める必要がある、これが慣れるまでは案外難しい
うまくいくと:
左手が出発側にまだいる間に、右手が独自に、次に到着側で必要となる弦を想起してつかみ(ホールディングし)、このことにより左手は出発、移動中右手はホールディングしたまま待機していて、左手の到着と同時に、はじく(これで上記のふたつの「音のない時間」が同時経過となっている)
本当に練習が要るのはここからで、切れてしまう時間を適切にコントロールしなければいけない、目安は、切れている時間が「その曲に何度も出てくる短い音符」の半分以下となる、が目標

◎pとaの「アーチ」、またはpとmの「アーチ」
右手のこのアーチを、一つ一つのグループに対して、肩甲骨、鎖骨から用意する(=アーチのアラインメント)
たとえばソル「月光」(Op.35-22)の冒頭4小節では、
・1小節目1拍目がひとつのグループG1{pim=⑤③②}これが一つのアーチ
・2拍目と3拍目が次のグループG2{pim=④③②}これが次のアーチ
・2小節目~3小節目の終わりまでが次のグループG3{pim=④②①}これがさらに次のアーチ
・4小節目は最後のグループG4{pim=④③②}最後のアーチで場所はG2と同じ
となる

◎グループの階層化
月光の例のG1~G2~G3~G4は、この4つをひと組として、ひとつ上位のグループと考えられる
この上位のグループを弾ききるまでの間、下位のグループのためのアラインメントを順に変更しながら弾き進める練習(あるいは、上位グループを弾き進めている間に、小グループのためのアーチアラインメントを変更していることをすべて自覚する練習)
最初はアルペジオではなく和音で、また開放弦で、そしてこの曲で必要となるリズム(すなわちG14分音符→G22分音符→G3は2小節分→G4は1小節分)で弾いて、各小グループのアーチを肩から配置する練習

◎アラインメントについて考察をするためには、右手の運指をすべて決定しなければならない
右手タブ譜を書くこと推奨
開放弦で弾けるように
過不足なく運動、アーチアラインメントを次々作っていく中に、不必要な動きが混じらないように練習する

◎右肘付近のギターとの接点(皮膚)と腕の中の骨で挟まれた自分の筋肉の中に、小さなバランスボールがある感じ
この骨はギターに固定されていない
アラインメントの安定ためには、右足から側面板全域にかけての、リラックスした不動さも重要となる
右足のかかとを上げない、上がってきたら下ろすこと

◎トレモロ配列・アルペジオ配列
aとmとiが、おおむね同じ弦を弾くことになる配置がトレモロ配列、別々の弦を担当することになる配置がアルペジオ配列
このふたつが入れ替わるときは、アーチは変更する

◎無意識で弾けるくらいでないといけないが、「意識する練習」こそ必要

◎爪
爪は個人差が大きく一般的に言えることが少ない
爪を手入れする際には、固定された指先に対して弦が通過していくと考えるとよい
爪や指先と弦の当たり方にはヴァリエーションがあり、いつも同じポイントで当たっているわけではない
着陸エリアと離陸エリアに分けよう(爪が滑走路で弦が飛行機)
指先がへこむことで弦が爪に着陸
着陸エリアには一定の広がりがある、だいたい、よく練習した後に爪が掘れている範囲が着陸エリア
着陸エリア面と弦の着陸軌跡(これも面)がなす角度(キャッチ角)は、弦を捉えている間の力のかけ具合に大きく影響するので、慎重に成形する
着陸エリアの爪の内面側(てのひら側)の路肩は常に少しずつ掘られていく、こまめにざらつきを取る必要がある、また掘られ過ぎると弾きにくくなるので周囲を削って掘れたくぼみを減らす必要がある
着陸から離陸までに、弦は爪の坂を登る、この坂がシンプルな面であることが望ましいし路肩整備も大切
そのシンプルな面を介して、着陸面と離陸面が三次元的になだらかにつながっていることをめざす
弦が古いほど弦の弾性は減り、坂を登りにくい感触となるので、爪は短めがよい、坂の標高差を変えて弦の古さに対応
離陸エリアでは、弦が抜けていく円筒形状に対して、うまく少しずつ遠ざかるような爪の離陸路を整備する
爪は靴のようなもの、履き慣れること、同じ日に4つの爪すべてを変更しない方がよい、日数をかけて良いバランスへと追い込む
ソルとタレガ(の晩年)は、爪なしで弾いていた

◎まずは指を振る(スナップ)だけの音量で
音楽内容にふさわしい声(音)の大きさ
「人前では大きく弾こうとする」ことへの対応
前腕部が手伝うアクションは速くは弾けない
指スナップと、腕によるアラインメントを、分離する

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3.練習全般


◎余韻と用意を重ねる
どの音も、済ませて次、ではない

◎一小節一歩で歩く練習がよい
体の重心が止まらないように
ゆっくり過ぎて、歩くという感覚ではないかも知れません、その曲に付けたある振り付けを踊る気持ち
手は拍子を指揮(または、拍をたたく)
口で細かな音符を歌う
足腰が一小節という周期、手は一拍という周期、口はさらに細かな周期に対応して運動し、3種類の周期の運動が重なって同時進行している構造を、体の各部で分担する
特に、一拍目の時間だけで腰を動かし切らずに、あえて一小節分の時間全体に引き延ばすようにゆったり腰を運ぶ感覚を体得できれば、その小節を演奏する上でたいへん有効

◎右手主導への切り替え(場面ごとに)
右手から発する電気が弦を伝わってヘッド側へと走り左指を呼び込む、この感触になる
新個所は左手から練習を始めるほかないので、切り替えは困難
左手のポジション移動と右手のホールディングを関連付ける

◎ゆっくりの百点
良いアクションにだけ慣れを作る

◎階層化したグループのうち、今、どの階層を練習しているのか、いつも自覚する
本当のやっかいさからは逃げがち

◎適切な「リマインド」
「覚える」ことより「思い出す」こと
無意識のアクションはアバウトかつ変更不能
グループ終了までに次グループを「リマインダブル」、注意事項を事前に意識できること
いつもすべてを思い出しながら弾くのではなく、必要な瞬間に必ず思い出せるようにしておくのが目標

◎通して弾くのは、よい時期と良くない時期がある
通すと、日の浅い変更点を旧バージョンで弾いてしまいがち
通すのがよくない時期には決して通さない
練習日(の間隔)があく人(時期)は練習帳をつける

◎曲の「サイズ」とスタミナ
実感するには通して繰り返し弾くほかない、通して弾くメリットはほぼこれしかない

◎復元ポイント
復元ポイントとは、パソコン基本ソフトにある機能で、基本ソフトの設定を原因操作の前の状態に戻し、原因操作による不具合を解消するはたらき
演奏中に、力の借金や姿勢のずれを完全に立て直す箇所を作る
理想は、4小節単位毎の先頭が復元ポイント、どの4小節からでも開始できるようにしておく
大切な人前で万一止まっても、次の4小節から再開できればよい
手前から弾いてこないと思いだせない、というのが良くない、リマインド不全がフィジカルな借金を作ってしまう

◎肘は半分動く、肩は1/10動く
左手のポジション移動と右手「アーチ」の配置換えでの指先の移動量に対して、「肘は半分動く」「肩は1/10動く」と考え、肘や肩の数ミリの運動を練習すると考える
指先に囚われてはいけない

◎曲の冒頭はよく練習する必要がある
うまくいった時だけ続きを弾いていることが多く、その一回までのうまくいかなかった数回に対する自覚があまりないことが多い(練習では物理的なゴミが出ないから)
冒頭がうまくいった時は、少し先のうまくいかないところまで弾いてしまい、なぜうまくいったのか(うまくいくための事前の意識の持ち方)を考えないことが多い

◎しからない
しかることでうまくはなれない
なぜうまくいくのかを考える
「一発一中」は、成功率を徐々に上げる延長にはない(と考えよう)
事前の意識の持ち方を作る、慣れに任せて手が勝手に弾くのではない

◎新しく曲に取り組む出発点では、弾けていないしわかってもいない
その場面が「弾けるから、わかる」と「わかるから、弾ける」の、両面がある

◎曲は仕上げるのではなく、育てる
人前での1回の演奏は通過点

◎過不足のない運動
ワンタッチとアーチアラインメントに対して、過不足ない手伝い方を磨く
鏡、推奨
過不足ない運動が見つかってこない場面は、うたがはっきりしていないことが多い

◎姿勢はリスのイメージ
リスは視力がよく、立ち上がって周囲を見渡すことがある、腰から上はそのイメージ
前傾なく、かつ、肩甲骨を背中の中央に引き寄せない
座板と自分の骨盤を右揃えですわる、右足の太腿裏側の筋肉を圧迫しないようにすわる

◎車両、レール、地面
その場面の運動がすっきりとうまくいく感じは、レールの上を車両がきれいに走る感じ
レールは音楽の流れであり、レールが敷けていなければ、「ギターを弾く運動」という車両は走らない
レールが敷けるためには、土地を造成して、なだらかな心の地面を用意する必要がある
弾けることの自慢や難題へのチャレンジではなく、美に向けての集中で、曲の時間を生きるべき

◎疲れたらやめる
疲れる前にうまくなろう

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4.西洋音楽


◎ポリフォニーとは
複数の旋律が同時進行し、ほぼ対等に活躍するような音楽の形態
ことばとしては、モノフォニー(単旋律)の対義語(「かごめかごめ」はモノフォニーで思い出すと思います)
このほかホモフォニーという形態がある、ホモフォニーとは、主旋律+伴奏、かつ伴奏はコード進行がわかる程度の響きの変化、と意識されている状態のこと(流行歌などはホモフォニーで思い出すかと思います)
ポリフォニーは、モノフォニーともホモフォニーとも異なる
西洋音楽史を考えるとき、おそらく最も特徴的な要素
音楽史の用語としては、ルネサンス期のうち、1410年頃~1600年頃の無伴奏合唱曲に支配的な作曲スタイルを指し、当時の最高水準の洗練はこのスタイルの作品にみられる

◎ポリフォニーのおすすめ鑑賞曲
Josquin Desprez(c1450-1521)作曲 Ave Maria
Orlande de Lassus(1532-1594)作曲Stabat Mater
William Byrd(1543-1622)作曲 Masse a 3(三声のミサ曲)よりKyrie

◎ルネサンス期のポリフォニー音楽の特徴
今日の私たちには以下の点などが感じられるかと思います
・体を揺さぶりたくなるようなビートはない
・4小節単位とはなっていない
・問いと答えには感じない、一曲に一山のドラマティックな構図もない
・響きは精緻を極め、歌唱者たちは、特別に相当の訓練と、演奏時にも慎重で繊細な態度が必要
・主旋律なるものを特定できる感じはしない、各声部が対等
・人の内にある葛藤や苦悩よりも、救済とか楽園の調和への期待、あこがれへと誘う
こうした特徴が徐々に革新されていき、ポリフォニー様式が支配的スタイルでなくなり始めた(=器楽の活躍、およびそれと関連して広がったモノディ様式や通奏低音)ことをもって、バロック期に入ったと考えることが多い(この革新途上の作品群には、感銘深く鑑賞できる曲が多い)

◎多声の重要性
複数の声部が全体の調和を保ちつつ、自在に個別に動くさまは、聴き手を独特の感覚に誘う
ポリフォニーはバロック期になって捨て去られたわけではない
むしろバッハに至るまでは、この様式を細かな約束に体系化した「対位法」という形で大切にされ続けた
その後、古典派以降のコード進行が中心に座る書き方を「和声法」と呼ぶことになっているが、和声法はかなりポリフォニーの伝統を引き継いでおり、実質的には「対位法をコード進行から見直したもの」とも考えられる
実際の作品でも多声を捨てたような作風は初期の古典派にみられるようだが、ハイドンもモーツァルトもベートーベンも、「多声を大切にした和声法」で認められていく

◎多声の品格
うまく書かれた多声はうまく演奏されれば「品格」をかもし出す
「品格」には、歴史的にみると変質があったように思う
ルネサンス期の品格は、神や王の高貴さを印象付ける演出(=「もったい」)ともとれるのだが、これは後世になるにしたがい、「人として生まれた以上誰しもが備える尊厳」ということに連想をいざなうような品格へと舵を切ったのではないだろうか(ソルが青年期までに受けたモンセラート修道院での音楽教育が、「もったい」から「人の尊厳」へと変質しつつあるホットなポリフォニーだったと想像しても、大きな間違いではなかろうと思う)

◎シラブル
シラブルとは、例えばyesterdayという単語を、発音の観点から「ひとつの母音とそれに付着する子音」を一つのグループとして、yesとterとdayの3つに分割したときの、個々のグループを指す(辞書でも区切られています)
西洋音楽では、シラブルを示すものとして、音符が整備され定着した
イメージとしては、
・吹流しか鯉のぼりのような、布の筒が、
・自分の発音した母音の息によって送り出されていく
・最初のシラブルyesの筒の先頭に子音yを示す膜が張られていて、この筒(母音はe)の持続の最後にはsの膜が来る
・sの膜は、次のシラブルterの先頭tの膜と、ぴったり重なっていて
・筒自体はterの筒に継続、terの筒の最後は子音rの膜
・rの膜は、次のシラブルdayの先頭dの膜と、ぴったり… と考える
子音には理屈の上では時間がない、持続はもっぱら母音を引き延ばす
この見方は歌う上で重要、日本語的に発音するとyesのsにも「ス」と母音も与えたくなりその時間を差し引いて手前のyeの母音の時間が短くなりがち

◎メリスマ
ひとつのシラブルの途中で高さが変わる現象をメリスマという、近畿地方の発音では、「ひぃ↘」(=「日」)と「ひぃ↗」(=「火」)を、上げ下げによって区別しているがこれがメリスマ
声楽では複数の音符をスラーの記号で結んで記される(ギターのスラーもメリスマと考えて練習するとよい)

◎比と間
五線の記譜はリズムに関しては、原則として、音符の長さの「比」しか表せない、音の持続の「間(ま)」を示すものではない
もともと連続している時間を、「比」という仕掛けによって「間」には立ち入ることなく、取り扱っている
(ガリレオ=ガリレイが比例と単位量の考えにまとめ上げたのと同じ発想に立脚している)
譜面から演奏の動作の「間」に翻訳する際には、書かれた「比」を正しく再現することを繰り返し、徐々に「間」を知るべきである
まだその曲と付き合いが浅いのに、気持ちが音の触感に固着して「間」の方にこだわると、「比」を失うことがあるので注意

◎「パルスの位取り」
これは一般用語ではありません
細かな16分音符のパルスと4分音符のパルスと1小節のパルス、というふうに、数種の周期が一定の比を保ちながらで同時進行している様子は、ものさしに、1mm、1cm、5cm…の目盛りがそれぞれの目立ち具合で刻まれている様子に似ていて、この本質は位取り記数法も同じなので、1の位、10の位、100の位…があるように、曲のリズムでも、16分音符の位、4分音符の位、1小節の位…があると考える

◎時間の連続に、息の持続を張り付ける
パルスの先頭に、ギターを弾くための運動を張り付けるのではない

◎ゲシュタルト
ゲシュタルトとは、パッと見て何らかの見立てが成立したときのその見立てのこと、パタン認識のパタンと同じ、人間がそのような認識の仕方を多用していることが、20世紀初頭にわかってきた
視覚からの見立てだけでなく、聴覚からの見立て(会話でのことばの理解など)、触覚からの見立て(「ざらつき」など)、運動の見立て(「混ぜる」など)も、ゲシュタルトである

◎4小節で漢字一文字
4小節が「ひとつのゲシュタルト」となることをめざそう、書道で一枚の半紙に「春夏秋冬」と書くときの、一文字ずつが4小節(これが一つのゲシュタルト)で4文字で16小節に相当、音楽では紙に痕跡を残すわけではないが、時間の持続を使ってゲシュタルトを形成していく点は同じ
まだ筆にある墨が、これから歌おうとする息
「ピンとくる何か」が時間の持続上に貼り延ばされる感じ

◎フレーズに数個の一等星
星座、あるいは、星がいくつかで三角形などの図形に見えている状態、もゲシュタルトである
空に線が引かれているわけではないが、図形と見ることで暗い星でも星が見えやすくなる面がある
星のゲシュタルトの中で一等星が果たす役割(存在感)と同じ役割を果たす音が4小節のフレーズの中にもある

◎調の違いは街の違い
調の感じの違いは、京都と奈良の違いのようなもの、街の構造(交通網・商業施設・役所など都市機能のあり方)はあまり違わないが、街並みの印象とか住み心地は違う
終止感は帰宅感、主和音は自分の家、属和音は通っている職場や学校、曲中の別の調への転調は引越しか旅先での滞在
調性は帰巣本能の具現化
主和音と属和音だけで進む数小節は、その曲の中の「日常」と考え、大切に弾こう

◎伸び縮みはよいが、断絶は不可
ritardando(遅刻)やrallentando(車のブレーキ)では、パルスの位取りで整備された時間の持続(ものさしの目盛りや方眼紙のイメージ)そのものに対して伸び縮みが与えられるべきで、そのような気配のない緩急操作は断絶となり不可

◎日本的ビート
手拍子で、たたいた後そのまま、両手が固着、粘着、あるいはもみつぶす運動が、日本的ビート
たたくことで跳ね返るように外へ広げていく運動が、西洋音楽のビート
(優劣ではありません)

◎上声部は営業マン、低音声部は牛耳る人、内声(中声部)は平民
各声部の人になることでその声部は歌いやすくなる

◎和声
ことばとしての「和声」はharmonyの訳語、和音とは別概念、「声の束」
「和声法」は、古典派以降、コード進行を最初に設計しそれを中心に作曲をすすめる書法だが、それ以前の「対位法」を取り込んで声部を大切にすることを継承した
西洋音楽の歴史の中で、「多声の大切にされ方」が、1600年頃まではポリフォニー、バッハまでは対位法、それ以降は和声法、と変遷してきたと考えてよい

◎多声の相互依存
うまく書かれた多声が、うまく演奏され、「品格」が備わっているときは、次の2点
・独立(各パートのうたの美的価値)
・協調(調とコード進行というパート外の美的価値)
が相互依存となる
特に「和声法」の時代となってから、協調の側の見事さがいっそう開拓されたように思う

◎ギターは、和声を鳴らせる楽器
和声を、独奏で実現しようとする楽器は、鍵盤楽器(ピアノ、パイプオルガン、チェンバロなど)、マリンバ、ハープ…のように、すべての音があらかじめ用意されているものがほとんど、この点でギターは大変珍しい楽器と言える

◎聴き手の存在
「聴き手」「聴衆」、これも西洋音楽の重要な特徴
世界の民謡を見渡すと、仕事歌が多い、子守唄、田植え唄、牛追い歌など、また仕事歌以外でも、収穫への感謝の踊りなど、その場に居る人全員が唱和や踊りで参加するケースが大半を占める
「六甲おろし」なども、民謡、仕事歌として唱和されており、西洋音楽として鑑賞する「聴き手」は現場にはいないし、試みたとしても居づらい
音楽の「聴き手」という存在は、相当、特殊なことだといえる
「聴き手」は、おそらく、キリスト教の聖歌が広くヨーロッパに、作り出したものであろう
(プロテスタントの賛美歌は、この点では、むしろ正反対の唱和するタイプ)
「聴き手」を前提としているかどうかが、音楽の優劣なのではないが、少なくとも、多声(ポリフォニー、対位法、和声)は、純然な聴き手がいるからこそ育まれた、西洋音楽独特の洗練のひとつ

◎手拍子での参加や一緒に歌うことは、純聴き手でなくなることを意味する
演奏者は、この点、作曲された意図をよく知り、それにふさわしい場を作るべき

◎楽器の課題曲
各楽器には、音楽事典に記述できるような物理的な特徴があるが、たくさんある特徴のうちひとつかふたつがそうでない楽器(たとえばサウンドホールがふたつあるギターなど)も必ずある、つまり、楽器の本質を物理構造から定義するのには無理がある
楽器の本質はレパートリーにある(つまり「ソルやタレガの作品を美しく鳴らせるのがギター」)と筆者は考える

◎共生
1.他楽器(あるいは他の音現象)との差異を意識し、共存共栄を図る
お寺の鐘にないもの、鳥のさえずりにないもの、パトカーのサイレンにないもの…、大オーケストラにないもの、ピアノにないもの…それをギターが担当すると考えて、既成概念はうのみにせず、自分自身の音生活から「ギターならではの音楽美」を抽出する
自分の人生に根ざし率直に抽出された「ギターならではの音楽美」は、他者の音生活環境の中にひっそりとでも存在するだけで、文化的な意味がある(「これがギター音楽だから聴いておくように」といった態度ではなく「私の音生活から抽出した音楽美です」という気持ち)
また、これは、他者が演奏する他楽器ならではの音楽美を光らせることもできる
2.自分の生活の中の他の活動との共生
単純に気分のリフレッシュという側面もあるが、音楽に取り組む中で学び得たことの、応用範囲は広い
歴史、国際感覚、妥協と克己心、客観視、相互理解…などを学び磨くのは、何をする時にも重要な項目となる
自分が一曲を毎日でも鳴らせるということは、ルーヴル美術館にあるような絵画一点を家に飾ってあるのと同じ、毎日対話すること自体に意味がある


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5.その他のメンタル面


◎安心のための練習⇔上達のための練習
峻別し、同等の分量を確保しよう

◎リズムは社会的に
ジャンケン、相撲のたちあい、など、するどい社会的リズムが必要とされる例が生活中にはある
演奏では、「それで他人が踊れるか」を客観視(というか客観聴)できる余裕が必要

◎意識することを練習
無意識になることを練習するのではない

◎緊張の中で弾けるように
意味が自覚されているほど、それを発することに対して風圧のように緊張がかかる

◎聴き手は、音楽を待っているのであって、奏者による達成の可否を逐一応援しているわけではない
もっと言えば奏者に対して大きな関心はない
こう思えると少し「あがる」のが減ります
(曲の最後の音のあと、転換が起こり奏者は大きな関心を集める)

◎弾きやすいという安心を、聴く側は共有できない
安心して弾ける、は、安心して聴けるとは違う
テンポや歌い方について、その時点での最終確認をしたいとき、ギターは鳴らさない方がよい
弾いて決めると、指の弾きやすい弾き方になりがち

◎曲が持つ社会的定位(「有名だ」、「難曲だ」、「大曲だ」などの意識)は鑑賞の目的にはなりえない
鑑賞するのは曲の音楽美であって、社会的定位は肩書きや勲章(あるいは武装)に相当

◎地図が描けるように知る
奏者は美術館の学芸員として順路を作る立場であり、順路に沿って巡回できれよいのではない
音楽の構成の再現

◎調弦は弦が合えばよいのではない
「チューニングは奏者自身のチューニングである」S.グロンドーナ
調弦時は、椅子と足台の高さや関係、しっかり具合、照明・空調、誰が見えるか、会場の最奥からの反射音とタッチ…、こうしたことを幅広く確認している
また、これから弾く曲の調の主音らしさ属音らしさ、属和音→主和音の終止感などへと、意識を集中させながら微調整が可能
メーターで開放弦だけ合わせてスタート、は良くない

◎メーターを調弦に使わない
基準音という点でも、音叉と耳を使うべき
練習中、左手の意図しないチョーキングを点検するのには、メーターは大変便利
合奏時はメーターが必要かもしれません

◎「ギターを使って曲を弾く」と「曲を使ってギターを弾く」の違い
どちらが本当の目的か、よく考えよう
ギターを始める当初は「『ギター』を弾けるようになりたい」のが普通で、「禁じられた遊び」(など)で『ギター』をがんばるという形でしか入れない、この時点では「『ギター』が目的、曲は手段」
これが逆転し「曲(の音楽美)が目的、ギターは手段」と変わる必要がある
何年弾いていても、難所はいくらでも見つかり、難所をギターで鳴らせるということが当面の練習目的となるため、練習中「弾けていることを使って音楽美を知り直す」はどこかへいってしまうことが多い

◎ギターも難しいが、音楽の方が難しい

◎美意識とは「在る」の明かさへのこだわり

◎情景やストーリーは演奏の助けになる
4つの質問
・一日のうち何時ころか
・一年のうち何月ころか
・地球上のどこか
・登場する生き物は
を糸口に自分のイメージを自問自答する
Evocation(=想念の喚起)

◎うまくいきすぎてびっくりして止まってしまう、は避けたい

◎ここは大丈夫、という油断
難所の前後こそ要注意
特別手厚く練習した箇所は「情が移る」状態になっていて、そうでない箇所との整合が取れていないことがある

◎知ってる曲(知られている曲)の難点
中身に踏み込んでいない、中身が聴かれない、ことがありうる

◎ほめるのではなく見習う
ほめるは消費者にとどまる行為であろう

◎「どう変わるべきか(何が間違いか)は、本人はよくわかっているのに、変われない」は、よくある
「頭でわかる」と「体でわかる」には大きな開きがある
自分では「できた日がわかった日」と考えよう

◎曲や音楽以前に、今、心の底から人々に言いたいことが、自分の弾く曲に書かれていると思えるのが理想

◎天才や偉人の、時間の密度
後世に伝えられるような音楽作品が作曲された時には、作曲家が最高に集中していた
タレガの曲の2分間という時間は、タレガという人の最高の集中の2分、ソルの3分はソルの3分…と考え、その密度に自分が追い付くことを目標としよう


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6.さらなる考察


◎弁別意思
例えば、ミC-ミA-ミC、とミEm-ミAm-ミEmの弁別
自分の発するうたで、聴き手は意味を思うという事情

◎「ことばの意味とは、その使用である」(ウィトゲンシュタインの説)
大雑把な説明になりますが、通じたことのあることば(または、うた)から、選び出して、「通じるを再現させよう」として、あらためて「過去の話者(奏者)が『これ』を選んでいたのか」と感嘆を伴って納得し直すようなときの、『これ』が、意味
「過去の話者(奏者)」には、作曲中の作曲者の中での演奏を含みます
この立場から言えば、自分の発することばは自分の生み出したことばではない

◎「身体が道具に浸み出す」(メルロ=ポンティの説)
大雑把な説明になりますが、
・手で耳をつまむとき、「つまむ手(自己自身)+つままれる耳(対象)」と認識しているだけでなく、「つままれにいく耳(自己自身)+つままれる場所にやってきた手(対象)」とも認識できる
・このように、対象になるか自己自身になるかが、転換可能で、もともと両義性を持つのが「<私>の身体」
・履いている靴、被っている帽子なども、この意味では<私>の身体である(つまんでみてください)
・<私>の身体は、医学的身体から、浸み出すし、睡眠時は引き上げる
・<私>の身体は、道具やことばに浸み出す

◎浸み出すことを練習する
<私>の身体が浸み出す、ということは
・左手からキャベツに浸み出す「私」と、右手から包丁の刃先に浸み出す「私」が、出会うことで、切っている
・黒板に立って字を書くときは、足腰→建物→壁→黒板へと浸み出した「私」と、チョークの先に浸み出した「私」が出会う
出会うための、浸み出し領域がその都度あり、規模もさまざま
ギターに浸み出し、さらには音波と共に部屋に浸み出す、そのような身体の、起点(不動箇所)と運動として練習をすすめる
(当日の演奏会場に浸み出す<私>を、想定して事前に練習しておく値打ちがある)

◎浸み出す<私>について
練習が進んで音楽がある程度流れるようになってくると、音響‐操作‐自己、と分解して改善を図ってもうまくなれない
そこで次のように考えてみる
鳴らす(自己自身)⇔聴こえる(対象)、が<私>を構成している
(これは転換可能、鳴らさせられようとしている(対象)⇔聴く(自己自身)、上述の両義性を備えた<私>なのである)
鳴らすはコップの底側、聴こえるはコップの口側としてみよう
逆さにしたコップが(底側を上にして)、より大きな水面から引き上げられる際、外の水面よりも上までコップ内の水は持ち上げられる、人前演奏中の<私>と<みんな>はそういう関係にある、<みんな>から<私>が突出する出来事
A.コップの口側がふさがってはならない
「<私>に聴こえる」と、「<みんな>に聴こえる」は同じでなくてはならない、すなわち「筒抜け」状態
この点認めたうえで、聴こえる歌を磨くのが練習
B.コップが水没しているケース
「現場では決めた通りに指(音)を動かす」だけでは「私の突出」を生まない(そこから逃げている)
シュプレヒコールと同じ、校歌斉唱などでも水没になりやすい
C.コップが融けていて無いケース
いびき、無意識のひとりごと、無意識の「よいしょ」などの「鳴らす」は、「聴こえる」とつながっていない
<私>が構成されてはいない
D.水面から完全に出てしまってコップの中に水がないケース
発音だけへの注意でする練習
<みんな>の意味ではないと自覚しての「鳴らす」
これも<私>が構成されない
(調弦時には<私>が構成されなければならない、音階練習なども同じ)

◎水は「通じたことのある言説(音楽)の総体」
ソシュールの《ラング》にほぼ相当
水《ラング》の規模を、バケツからプールへそして海へと成長させる

◎納得と感嘆
ウィトゲンシュタイン「ことばの意味とはその使用である」をこのモデルに当てはめると、コップ内の水はコップが生み出すものではない
にもかかわらずコップによって一定の圧力差=「<私>の突出という緊張」を生みうる
コップの中だけはコカコーラにしようなどということに走らず、<みんなの水>で生じる圧力差の中から、「感嘆を伴う納得」に誘うものを選び、感嘆を伴って納得し直すのが演奏
(音楽の個々の場面が、それぞれ一回のコップの持ち上げで、小品一曲でも数十の持ち上げがある、と考えてください)
「納得」に伴っているかも知れない「感嘆」への感受性を、曲の中のひとつひとつの納得について、それぞれ磨くことが、上達の要件
聴ける以上には弾けない

◎「エピステーメー」(フーコーの説)
知の基底、知の枠組み、などと訳される
社会制度の変化ではなく、人の変化から、歴史を見つめようとして提起された考え
人は、エピステーメーを次の3段階、経てきたとみる
1.有史以来ルネサンス頃まで、「象徴の時代」
呪文、英雄伝説の指輪などアイテム、たたり、…これらを、たくさん生活に使いこなすことが、知である状態
音楽では、上級曲の威光、おはこ、とり、などが、今日でも使われる「象徴」であろう
2.フランス革命の頃まで、「タブローの時代」(=表)
比較検討のため、項目ごとに特性を整理した表を使いこなすことが、知を意味する状態
自然科学の本体といってもよい
学問的、合理的な印象
例えば、自動車ほどの高額の買い物をするときに[価格][燃費][色][サイズ][メーカーの信頼度]…など、表は書かないまでも、その商品の一体感(象徴)に惑わされない比較検討もした方がよい、と、どこか思っている
音楽では、教則本で[音階][終止形][練習曲]を各調ごとに並べる発想や、グレード表などについて、今日でも、どこか受け入れているし、ギターの弦の張力や耐久性を表が書けるくらいに知っていこうとしている(それが知だと考えている)面がある
3.最近まで、「人間の時代」
出来事にかかわる人と自分の、感銘、生きがい、限界などを踏まえて、人間存在の出会いとして出来事を捉えようとする知の状態
見かけ上同じ対象に対してであっても、こちら(自分)の「生きる」に応じて、いっそうこの知は深まる
例えば、モーツァルトの「レクイエム」作曲の経緯にまつわる逸話があるとなれば、客観的に実話かどうかは別にして、今の自分の死生観から、その逸話も踏まえた上であらためて聴き直し、自分の死生観への影響を受け入れていく、ような出会い方
4.フーコー(1984年没)は、「人間」がエピステーメーであった時代は終わったが、次が何なのかまだ分からない、と言ったとされています
(終わったかという点、筆者にはよくわかりません、筆者の基底は「人間」のまま、あるいは人間にもなれていないかもしれません、基底を「タブロー」から「人間」に移そうとしてこれを書いている面があります)
作品を理解する中で、作曲者の中にあったエピステーメーごとの意思の折り重なり具合について想像しよう
また演奏者である自分の側の理解も、折り重なっている
聴き手一人一人の中でも折り重なっている

◎政治・経済・文化
人間の活動には、いつもこの3つの側面があり、どの側面にも気を配る必要がある
例えば、飲みに行きましょうか、というとき
・政治面:「Aさんを誘うならBさんも」など、顔ぶれと名目に関する判断
・経済面:会費、開催日時、コストパフォーマンスなどに関する判断
・文化面:「あの店は感じがいい」「いいワインがある」など、飲食とサービスの内容や、話し合いの中身に関する判断
音楽の練習や発表では
・格(グレード)と顔(タイトル)は政治の発想
・納期(早期達成)と特許(希少価値)は経済の発想
・文化とは、伝承と共生への参加
相当意識しないと、文化面が薄い取り組みになってしまいます

◎生涯学習Life Long Learning
ユネスコ1965年提言
各国に浸透する過程では国際政治の思惑も交錯したようですが、提言の数年後に示された「基本原則」は素晴らしい内容なので紹介したいと思います
・生きることを学ぶ
・学ぶことを学ぶ
・世界を愛し、人間的なものにすることを学ぶ
・創造的仕事の中で自分の能力を発揮することを学ぶ

◎曲(その曲の音楽の理解)を育てる、他者演奏の音楽を聴く心を育てる、は、自分を育てること
経済最優先社会の中で、生きる希望の根底が、「稼ぐ」「這い上がる」だけになってしまいやすいので、「学ぶ」「育てる」を自分で意識しよう

◎キルケゴール「実存」
迷いを伴った手
これから弾こうとする次の音へは、いつも《不安》《ためらい》がある
手の迷いを「乗り越える」(カントやヘーゲルの止揚)のではなく、「寄り添う」または「向き合う」
発する言葉への迷いに「寄り添う」時間を生きる意志こそが、語る内容(しゃべるだけでも相手には伝わるであろう内容)をあえて歌う動機にほかならない
例えば、「早春賦」の歌で、1番の後半、「時にあらずと声も立てず」の歌詞は2回歌われることになるが、1回目と2回目に乗せるもの、2回も歌う動機
そうまでして初めて出会える「私」の実存

◎「構築、あるいはインストール」―あがることへの対処のヒント
各曲の冒頭では、次のような構築が一気に始まる
1.立場の「構築」:語り手と聴き手に別れる、西洋音楽である限り奏者は《ムラの聖歌隊》なのであり、語り手として《ムラの代表》を引き受ける責任が発生、また聴き手には《こうべを垂れて》拝聴する責任が発生、この役割分担の委託受託が始まる
2.会場の「構築」:発音のパワーと残響、視認度、距離感など物理的環境を双方(奏者と聴衆)が体感し、適応への努力を開始し、環境に満足したりしなかったりする
3.音楽の「構築」
a.テンポ:許容範囲(そもそも門前払い的に、先へ進む気になれないと感じるテンポもある)内であれば、それが聴く前提になる
b.リズム:《パルスの位どり》が了解され出す時点からテンポとリズムの面白さは相互依存となる
c.調:印象的な音程によって徐々に、各声部の動きとコード進行が相互依存として了解される、または旋法や無調が了解される
d.奏者の技能レベルや音楽センス(聴き手から見た)への判断
e.聴き手の受容度(聴き手自身が感じる)への判断
f.未知の体験である感
4.共通認識という「構築」:同じ音楽を今聴いている一体感や、他者が自分と同じように感銘しつつあるのではないかという期待(そうではないかもしれないという不安)
こうした「構築」を打ち立てることからは奏者は逃げ切れないし、むしろ「構築」を打ち立てながらも、ギターを崩れずに弾ける余裕が必要
最初のフレーズは聴き手の顔を見ながら弾けるくらいでないといけない
もっと言えば、その曲の冒頭で打ち立てられることになる「構築」をよく知り、「構築」こそが目的になっていなければならない
ということで、演奏の現場とは、「奏者が演奏する場」なのではなく、「聴き手が聴き手になる場」なのであり、「うまい演奏」とは「他者が聴き手になりやすい演奏」だといえる(と筆者は思うのですが、いかがでしょうか)

◎逃げ
弾けない(未解決)からの逃げ
逃げを自覚することからの逃げ
実は心からの賛同がないのに弾けてはしまうという時、自分の中の賛同を増やすことからの逃げ
得体の知れないものへのおそれの念、からの逃げ(意味の簡略化)


top2.右手3.練習全般4.西洋音楽5.その他のメンタル面6.さらなる考察


北口功ギター教室・2004年6月13日-2018年7月
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